読書コミュニティ "ブクナビサロン"

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    カテゴリ: 文芸書

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    詩情豊かな作品を好む自分からすると、ずいぶん破天荒な作風にまずはびっくりした。

    本作は新人作家武田久生氏の処女作で、「月光町ブルース」と「ホラ吹き松吉」の2作品から構成される。
    会話文には豊富な知識が投入され、世界観により厚みを与えている印象。
    「ホラ吹き松吉」ではいくつかの視点の中に「ユウ坊」の存在が大きくなっているが、そうした視点に作者の経験や思いが投影されているのだろう。
    アジア諸国を放浪したことがあるという作者ならではの奇想天外な展開は、読者をも不思議の国へ旅立たせてくれるはず。

    献本ありがとうございました。


    月光町ブルース
    武田久生
    リトル・ガリヴァー社
    2013-10-31

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    芥川賞作家・金原ひとみの作品「オートフィクション」です。
    人と人とのつながりを少し違った視点から見つめ直す】時に、もしかするとヒントを得られるかもしれない作品です。

    相変わらずの作風でした。
    性と暴力と、そして狂気。
    安易な言葉で片付ける気はありませんが、基本はこの三拍子でしょうか。
    初めて読む人には斬新でしょうが、慣れてくるとちょっとした文章の緩みに飽きを感じてしまったりもしますが。斬新なのか、単に文学作品としての気品が欠けているのか、なかなか受け入れにくい人もいるかと思います。

    「何ですか?オートフィクションって」
    「一言で言えば、自伝的創作ですね。つまり、これは著作の自伝なんじゃないか、と読者に思わせるような小説です」


    主人公は22歳の女流作家リンだ。「彼」とのハネムーンのシーンから始まり、作中で編集者と上記のような会話がある。
    作中に本の(構造的な)ねらいに迫る会話を挿入するのはなんだかユニークな気もしますが、本書は22歳、18歳、16歳、15歳と遡る形で進行していく。

    話を中心は常に"男"であり、それは"甘酸っぱい恋"とは程遠い"依存"だ。冒頭から過激な被害妄想が炸裂しているが、絶えず誰かに依存している主人公は痛々しくもあり、また一方でどこかに自分を見ることもあるだろう。
    人は一人じゃ生きてはいけない-そんに陳腐なテーマは願い下げだろうが、それでも人は何かに依存したり、あるいは依存されることでしか自分を保っていけないときがある。そうでなければ「破綻」するからだろう。"アイデンティティの喪失"とでもいうのかな。

    それは国だろうか。家族だろうか。恋人だろうか。友達だろうか。
    信じては裏切られ、それでも何かを信じないと生きてはいけない。

    一般的に人と人との関係が希薄になったといわれる時代で、リンの苦しみは(僕自身とはずいぶん価値観がかけ離れているものの)すごくリアリティがあるように思う。
    「実体験」かそれに近しいものもいくつか含まれているとは思うけど、そうでないのが多いように思いますけどね。インタビューでは「逆手に取ってみたい」と書いてますしね。

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    『ジオラマ』  桐野夏生著



    著者が語る・・・

    ≪子供のころ夢中だった石ころ剥がしなる遊び≫と≪小説を書く仕事≫は似ていると。

    『個々の石の下に必ず存在する異世界

    ~私が生きている世界とは違う理で動いている世界~を

    見る驚きやその世界を書くことが≪小説≫なのである。
    短編小説を読む恐ろしさは暴露された世界がそのままそこにある事でもある。
    作者によって白日に晒された隠微な世界はいずれ干上がり、

    死に絶え、地上と何ら変わらなくなっていく。
    読者もそこに同時に置き去りにされる事もあるだろう。』


    あとがきの言葉である。

    「デッドガール」「六月の花嫁」「蜘蛛の巣」「井戸川さんについて」


    「捩れた天国」「黒い犬」「蛇つかい」「夜の砂」


    そして表題作「ジオラマ」を含む9作の短編からなる≪石ころの下に現れる異世界≫は、


    或る時はトラウマな幼児体験だったり、


    或る時は見られたくない石下のジメッとした部位に


    敢えてスポットを当てる様な居心地の悪さだったり、
    それらは作者からの敢えての挑戦状で、日常の当前が一瞬のうちに消えて

    現実を一皮剥いて現れる想像の範疇にない光景を心構えなしに見せ付けられる恐怖と驚異。

    それでも人間は・・・堕落しようが、破滅しようが、禁断の世界に堕ち様がどうにかこうにか

    それを受け入れるんだなという「本能適性」を突き付けられたりする。

    怖いけれど、悲しい様な情けない様な感触が残るのだ。

    ジオラマとは「箱の中に風景画と展示物を置き、

    その箱の1つの窓から中を覗くと照明効果などにより

    本当に風景が広がって居る様に錯覚させる見世物」である。



    正に桐野氏の世界はコレ。

    現実と錯覚の境目が見えない不思議。

    桐野氏が作り上げた石下のジオラマに夢中になる内に、

    気が付くと、その異世界に置き去りにされて居るかもしれない。

    それ相当な覚悟の上、読まれる事をお勧めします。
    やはり桐野氏は深くて捩れていて予想出来なくてオモシロイ。

    ジオラマ (新潮文庫)
    桐野 夏生
    新潮社
    2001-09-28


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    いわゆる正統派文学の系統は得意分野ではないのだが、三島文学も然り。
    「宴のあと」はタイトルから主題に想像がついたので読んでみたくなった作品だった。
    買い置いてしばらく経つが、読み始めると「かづ」の人生の熱情の渦に一気に飲み込まれていった。

    話は雪後庵の女将かづを中心に、そこに訪れる政治家や隠居の面々との交流や来る都知事選の顛末を描く。解説にもあるが、

    「知識人」の空想的な理想より、「民衆」の生命力に富む現実感覚の方がより政治的であった


    ということなのだろう。しかし、それに留まらず作者自身の政治観や安保闘争へのアイロニー、あるいはかづと野口氏に見られるような男女間の根本性質の相違にも焦点が当たっているといえよう。

    個人的には「活力の孤独」という表現に共感を覚えた。
    駆け続けるかづの人生の選択と、野口氏の余生。
    「宴のあと」の対照的な結末にもやはり作者の人生観を垣間見ることになるだろう。

    読者を引き込む終始丁寧な筆致で、世代関係なく読むことができる作品である。

    宴のあと (新潮文庫)
    三島 由紀夫
    新潮社
    1969-07-22

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    村上春樹の新作は短編小説集「女のいない男たち」。
    発売してからしばらく経つが、ようやく読了した。
    短編集という形態自体珍しいが、タイトルもまた不思議。
    村上春樹らしさは失われていないが、独特の筆致とテーマが執拗に書かれている印象が短編だけにより濃くなるかもしれない。村上文学に親しんでいない人にとっては違和感を生じると思う。

    彼らに女がいなかったわけではない。
    様々な形で失われてしまったのだ。

    テーマの深層は「木野」で語られているのではないだろうか。

    「欠けてしまった」何か。

    それは私たち一人ひとりにももちろんあるだろう。


    その間隙を縫って「蛇」は忍び寄ってくる。
    それは決してマイナスとは限らないのかもしれない。
    「両義的」なものなのだ。

    そして私たちは確かに傷つきながら生きていくしかないのだ。
    時にひとりで涙しながら。


    女のいない男たち
    村上 春樹
    文藝春秋
    2014-04-18

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